クルト・ワイル
Kurt Weill (1900~1950)
ワイルの生涯
ドイツのデッサウでユダヤ系の家の三男として生まれた。
ベルリン音大で学び、戦後の混乱期に帰郷しオペラ劇場でコレペティートアとして働く。
リューデンシャイトで指揮者として活躍し、オペラに親しみ、1920年、プロイセン芸術院に招かれて、ブゾーニから作曲を学ぶ。
1922年、劇作家カイザーの台本により、オペラ『立役者』を作曲し、注目を浴びる。翌年、バレエ・オペラ『ロイヤル・パレス』で ジャズの手法を取り入れて作曲する。1926年、カイザーの紹介でよき理解者となるロッテ・レーニャと結婚。
1928年、劇作家ブレヒトの台本を作曲した『三文オペラ』(28歳)は、演劇に独立した歌が挟まれた ミュージカルで、当時のベルリンの自由な空気を反映して、大ヒットとなった。
有名なユダヤ人作曲家となったことで、ナチスから目をつけられ、オペラ上演の際に妨害を受けていた。 身の危険を感じ、1933年、パリに逃れ、続いて1935年にアメリカ合衆国に移住している。
アメリカで1937年に市民権を獲得し、多くのオペラを作曲するが、1950年、「ハックルベリー・フィン」の作曲を半ばにして亡くなった。
ワイルの代表作品
| 三文オペラ | Die Dreigroschenoper | 1928年 |