カール・マリア・フォン・ウェーバー

Carl Maria von Weber (1786~1826)

ウェーバーの生涯

ドイツのオイティンに生まれる。
父は音楽家で、ウェーバーが生まれてから劇団を結成する。ウェーバーは幼い頃から、父の劇団巡業についてまわり、全国を渡り歩いた。 そして、9歳で正式な音楽教育を受け始め、才能を開花させる。更には、14歳でオペラ『森の娘』を書くなど早くからオペラへの関心を示している。

ウィーンでフォーグラーに師事した後、彼の推薦で1804年、ブレスラウの歌劇場の楽長となるが、2年務めたあと退く。
1813年にプラハ歌劇場の楽長に就任、1817年、ドレスデン歌劇場の音楽監督になりオペラの改革に尽力する。 1821年、ドイツオペラの『魔弾の射手』(35歳)がベルリンで初演され、大成功を収める。 この作品は、彼の理想とする「関連する諸芸術の全ての部分と関わり合い、融合する新しい芸術を作り上げる」という考えを、形にしたものであった。

1826年、40歳で結核によりロンドンで病死する。

ウェーバーの代表作品

魔弾の射手Der Freischutz1821年