リヒャルト・ワーグナー
Richard Wagner (1813~1883)
ワーグナーの生涯
ザクセン王国のライプツィヒに生まれる。
育ての父は舞台役者で、姉は女優の環境で音楽に興味を持つが、勉強は苦手だった。
19歳でベルツブルグ劇場の合唱指揮者となり、音楽家としての修行を積む。20歳で三幕のオペラ『妖精』を作曲し、
ドレスデンでグランドオペラの形式による五幕のオペラ『リエンツィ』を発表し、大成功する。
そして、ドレスデン宮廷歌劇場の楽長として迎え入れられたのだった。
ワーグナーの作品の作り方は、台本から作曲までを手がけ、さながら総合芸術を演出しているのが特徴で、それが色濃く現れるのは、
『さまよえるオランダ人』(28歳)以降の作品からである。
さらに、ドレスデンでは『タンホイザー』(32歳)、『ローエングリン』(35歳)を作曲する。
『ローエングリン』は、完成から初演まで、少し間をおいている。というのも、当時起きた革命にワーグナー自身が深く関与していたことで、
国外逃亡をしていたためである。
国外逃亡の間、定職にはつかずヨーロッパ中を歩き回るうちに、オペラ史上最大の作品『ニーベルングの指環』の構想を
練り始めた。この作品は構想から完成まで26年もかかっている。
スイスのチューリヒでパトロンの婦人と恋仲になり、その折に作られたのが『トリスタンとイゾルデ』(46歳) である。そして、バイエルンの王ルートヴィヒの援助をもとに、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(54歳)が完成した。
ルートヴィヒ王の援助と、ワーグナーの名声をもって、1876年、バイロイトに音楽劇場が建てられ、そこで『ニーベルングの指環』が初演されている。 第一回の音楽祭が赤字たっだため、第二回音楽祭が開かれたのは1882年のことだった。 この音楽祭でワーグナー最後のオペラとなる『パルジファル』(69歳)が初演された。
1883年、ヴェネチアで心臓発作により69歳で永眠した。
これまでのオペラ作家は、なんらかの楽器の経験を経て作曲の道に入るものだが、ワーグナーは生涯一度も指揮棒以外は触ったことがなかった。
ワーグナーの代表作品
| さまよえるオランダ人 | Der fliegende Hollander | 1841年 |
| タンホイザー | Tannhauser | 1845年 |
| ローエングリン | Lohengrin | 1848年 |
| ラインの黄金(ニーベルングの指環) | Das Rheingold | 1854年 |
| ワルキューレ(ニーベルングの指環) | Die Walkire | 1856年 |
| トリスタンとイゾルデ | Tristan und Isolde | 1859年 |
| ニュルンベルクのマイスタージンガー | Die Meistersinger von Nurnberg | 1867年 |
| ジークフリート(ニーベルングの指環) | Siegfried | 1871年 |
| 神々の黄昏(ニーベルングの指環) | Gotterdammerung | 1874年 |
| パルジファル | Parsifal | 1882年 |