ピョートル・チャイコフスキー
Pyotr Il'yich Tchaikovsky (1840~1893)
チャイコフスキーの生涯
ロシアのウラル地方ヴォトキンスクに生まれる。
鉱山監督官である父の次男として生まれる。幼少のころから音楽的才能を発揮していたが、両親の意思で10歳でサンクトペテルブルグの法律学校に入学した。
卒業後、法務局に勤めるが、仕事をしながらペテルブルグの音楽学校に入学し、アントン・ルービンシュタインに師事する。
次第に音楽にのめりこみ、法務局の職を辞め音楽活動に専念する。そして音楽学校を卒業した後は新設のモスクワ音楽院で教鞭をとりながらも作曲を続ける。
チャイコフスキーのオペラ4作目の『エフゲニー・オネーギン』(38歳)は、人の心の動きやその内面を表現した快作である。 同年から約10年間、ヨーロッパ周辺を転々とし、「弦楽セレナード」、大序曲『1812年』の作品を作曲する。 プーシキン原作の『スペードの女王』(50歳)は、交響曲「悲愴」にたとえられるチャイコフスキーのオペラ最高峰とされている。
1893年交響曲「悲愴」を初演するが、その9日後に突然の死を迎えた。死因は当時はやっていたコレラと言われているが、多くの説があり、はっきりと分かっていない。
チャイコフスキーの代表作品
| エフゲニー・オネーギン | Evgeny Onegin | 1878年 |
| スペードの女王 | Pikovaya Dama | 1890年 |