ジョアキーノ・ロッシーニ
Gioacchino Rossini (1792~1868)
ロッシーニの生涯
トランペット奏者の父と歌手の母の元に生まれる。
11歳で音楽を学び出してからは、その才能を発揮し、ヴィオラ、ホルン、チェンバロの演奏に熟達し、ボーイソプラノとしても素晴らしい歌手となった。
また、ハイドンとモーツァルトを手本として作曲を勉強し、13歳の時には弦楽ソナタを6曲作るに至る。
この才能がほっておかれるはずはなく、間もなくボローニャ音楽院に入学、高名な神父について作曲を学ぶ。19歳で卒業後、すぐに機会を得て次々と一幕ものの劇を手がける。
その後も、発表する曲が高評価を受け、22歳にして超一流の作曲家として認められるようになっていた。
『アルジェのイタリア女』(22歳)では、今で言うロッシーニクレッシェンドの効果を用いて、人々の気持ちを湧き立たせ大成功を収めている。
そして、1815年、人気絶頂のロッシーニは歌劇場と年間2本のオペラを作曲する長期契約を結び、オペラ・セリア9曲と呼ばれるシリーズが生まれる。
ロッシーニのオペラブッファの代表ともいえる『セビリアの理髪師』(24歳)もこの時期の作品だ。最後の本格的ブッファとなる 『チェネレントラ』(25歳)は、日本で言うシンデレラのことである。
1822年に結婚してから、イタリアでの最後のオペラ『セミラーミデ』(31歳)を発表し大成功。その後、パリ、ロンドンと渡る。完全新作のグランドオペラ『ウィリアム・テル』(37歳)を発表して後に、37歳にして、死ぬまでの40年間はオペラを作曲しなくなった。
ロッシーニの代表作品
| アルジェのイタリア女 | L Ltaliana in Algeri | 1813年 |
| セビリアの理髪師 | Il Barbiere di Siviglia | 1816年 |
| チェネレントラ | La Cenerentola | 1817年 |
| セミラーミデ | Semiramide | 1823年 |
| ウィリアム・テル | Guglielmo Tell | 1829年 |