ジャコモ・プッチーニ
Giacomo Puccini (1858~1924)
プッチーニの生涯
代々、大聖堂のオルガニストである家柄に生まれる。
14歳で教会のオルガニストになったが、18歳の時に見た『アイーダ』がきっかけでオペラ作曲家になる決心をする。
それまでさぼりがちだった音楽の勉強を熱心して、ミラノ音楽院にトップの成績で入学する。
ミラノ音楽院の学生の時には、マスカーニとともに『ラ・ボエーム』のような貧乏学生生活をして25歳で卒業した。 卒業の年に一幕のオペラの懸賞募集に応募した作品が、審査員の目にとまり大成功。これによって楽譜出版の契約ができ、豊かな暮らしをすることができた。
しばらくは不幸も訪れて苦難の時期があったが、『マノン・レスコー』(35歳)が大成功を収め、一流のオペラ作家と認められる。
生まれ故郷に近い湖畔の村に自宅を建て、作品作りに没頭する。そして、『ラ・ボエーム』(38歳)、『トスカ』(42歳)の傑作を発表する。
プッチーニの有名な作品『蝶々夫人』(46歳)は初演こそ大失敗に終わったが、多くの部分を書き換えた改訂版は大好評を得ている。
このあと7年間オペラの題材を探し、『西部の娘』(52歳)を作曲した。
その後、一幕もののオペラを三つまとめた「三部作」、『外套』(60歳)、『修道女アンジェリカ』(60歳) 『ジャンニ・スキッキ』(60歳)を発表、事実上これが最後の作品となる。 というのも、後に発表される『トゥーランドット』(65歳)は、最後の二重唱を残して、プッチーニが死んでしまったためである。
プッチーニの代表作品
| マノン・レスコー | Manon Lescaut | 1893年 |
| ラ・ボエーム | La Boheme | 1896年 |
| トスカ | Tosca | 1900年 |
| 蝶々夫人 | Madama Butterflye | 1904年 |
| 西部の娘 | La Fanciulla del West | 1910年 |
| 外套 | Il Tabarro | 1918年 |
| 修道女アンジェリカ | Suor Angelica | 1918年 |
| ジャンニ・スキッキ | Gianni Schicchi | 1918年 |
| トゥーランドット | Turandot | 1926年 |