アミルカーレ・ポンキエッリ
Amilcare Ponchielli (1834~1886)
ポンキエッリの生涯
ヴェルディの生家から北に20キロ離れた村の生まれ。
幼い頃より、教会のオルガニスト兼音楽教師である父の教育を受けて音楽を学び、ミラノ音楽院で9歳~20歳まで
英才教育を受けている。
音楽院を卒業後、故郷に戻り、教会のオルガニスト兼楽団の指揮をしながら、処女作『婚約者』を発表する。 この作品はまずまずの成功を収めたが、後に作曲する作品はどれも納得のいく評価を受けられず、しばらく作曲から遠ざかっている。
1872年、処女作『婚約者』を改訂して発表すると、これが大成功し、ウェルディの後継者との期待を寄せられる。
この後、リコルディ社と契約を結び、『リトアニア人』を発表、まずまずの成功を収め、一流作曲家として認められるようになった。
次に、ボーイトが台本を書き、ポンキエッリが作曲を手がけた『ジョコンダ』(32歳)を発表した。
この曲は大成功をし、一躍有名人となる。
1880年、母校のミラノ音楽院の作曲家教授となり、マスカーニ、プッチーニを熱心に教えた。
ポンキエッリは、オペラ史上ウェルディとプッチーニをつないだ重要な存在だったといえる。
享年51歳で亡くなる。
ポンキエッリの代表作品
| ジョコンダ | La Gioconda | 1876年 |