レオシュ・ヤナーチェク

Leos Janacek (1854~1928)

ヤナーチェクの生涯

チェコの東部モラヴィア北部の村に生まれる。
11歳のときモラヴィアの首都ブルノのアウグスチノ会修道院に送られ少年聖歌隊員となった。 聖歌隊の指揮者である、ヴェル・クルジージュコフスキーに音楽教育を受け、大きな影響を受ける。
1874年、オルガン学校で学ぶためにプラハ一年間住み、ドヴォルザークとの出会い音楽を深く愛するようになる。 プラハからブルノに戻り修道院での聖歌隊の指揮やスヴァトプルク合唱協会の指揮を務めたが、基本的な音楽技法の不足を感じウィーンへ留学する。

留学から帰ってから、1881年、ズデンカ・シュルゾヴァーと結婚し、エミリアン・シュルツの援助を受け1882年にオルガン学校を開校する。 また、同じ年にブルノ・ベセダに歌とヴァイオリンの学校も開設している。 この頃のヤナーチェクは2つの音楽学校の教師、2つの合唱団の指揮者、音楽雑誌の編集者と多忙を極め、作曲をほとんど行っていない。 1889年の「ラシュスコ舞曲」において、初めて民俗音楽をはっきりと意識した作品を発表した。 こうして独自の音楽語法を手にしたヤナーチェクが1894年から1903年の9年間をかけて完成させたのが、オペラ『イェヌーファ』(49歳)であった。

1917年、運命の女性カミラ・シュテスロヴァーと出会う、この出会いが創作意欲に刺激を与え、1917年から1919年に歌曲集「消えた男の日記」、 1919年から1921年にオペラ『カーチャ・カバノヴァー』(67歳)、次いで1921年から1923 年にかけてオペラ『利口な女狐の物語』(69歳)を 発表する。1928年、肺炎により74歳で息を引き取った。

ヤナーチェクの代表作品

イェヌーファJenufa1903年
カーチャ・カバノヴァーKat'a Kabanova1921年
利口な女狐の物語Prihody Lisky Bystorousky1923年