アルリーゴ・ボーイト
Arrigo Boito (1842~1918)
ボーイトの生涯
画家の父とポーランドの伯爵令嬢の母の二男として生まれる。
父は、ボーイトが生まれてまもなく家族を捨てて家を出てしまう。女手ひとつで二人の息子を育てた母親は
ボーイトに音楽の才能があると分かると、ミラノ音楽院に入れるため、ミラノに引越しをする。
入学当初こそ成績は良くなかったが、必死に勉強をして独学で多くの言語を覚え、作曲技法も熱心に学んだ。
そして、卒業時には最優秀生となり、卒業作品『水無月六日』は好評だった。
卒業後、母親の母国ポーランドに渡り、ゲーテの「ファウスト」を基にしたオペラ『メフィストーフェレ』(26歳)を作曲する。
初演こそ、曲が長すぎる、敵対する反対派の騒ぎなどにより大失敗となったが、後の1875年の短縮改訂版は大成功を収めている。
ボーイトは台本作家としても名を残し、ポンキエッリの『ジョコンダ』、ヴェルディの『オテロ』、『ファルスタッフ』を手がけている。
1918年、当時作曲していた『ネローネ』を完成させることなく、76歳で亡くなった。
ボーイトの代表作品
| メフィストーフェレ | Mefistofele | 1868年 |