ベラ・バルトーク
Bela Bartok (1881~1945)
バルトークの生涯
ハンガリー領トランシルヴァニアのナジセントミクローシュに生まれる。
父は農学校の校長でありアマチュア音楽家だったが、バルトークが7歳のとき、死去する。母に幼い頃からピアノを習い、天才ピアニストとしても知られる。
17歳でブダペスト音楽院で、作曲とピアノを学び、卒業作品の交響詩「コシュート」は、ハンガリー独立運動の英雄コシュートへの賛歌であった為、
当時ハプスブルク帝政の支配下にあったブダペストの世論を騒がせた。
1906年より、作曲家のコダーイとハンガリー民謡の研究を開始する。翌年、ブダペスト音楽院のピアノ科教授となり、
1911年、唯一のオペラである『青ひげ公の城』(30歳)を完成させるが、あまりに斬新で演奏不可能という事で、
1918年まで、演奏されることはなかった。
バルトークの音楽活動は、管弦楽曲や協奏曲、弦楽四重奏曲など、器楽曲を中心としており、彼が研究していたハンガリー民謡をもとにした作曲が多い。
1940年、第二次世界大戦の勃発後、アメリカに亡命し、コロンビア大学で民俗音楽の研究しながらも、音楽活動を続ける。 1945年、ニューヨークの病院で白血病で亡くなった。
バルトークの代表作品
| 青ひげ公の城 | A Kekszakallu Herceg Vara | 1911年 |